2012年4月25日水曜日

人生の扉


塾生諸君!

竹内まりあの歌に「人生の扉」があります。
塾長は昔から、この竹内まりあが大好きでして、娘からプレゼントしてもら
った、この歌が入っている「デニム」というアルバムも最近は耳にタコがで
きるほど聞いています。竹内まりあは歳を重ねて、若い時分にはなかった深
みと艶が出て、味わいをましています。多くの歌手が歳とともに艶が失われ
ていくようですが、艶がまして来る人もいるんですね、、。

先日この「人生の扉」を聞きながら、ふと浮かんだ想いがありましたので、
今日はこれがテーマです。

我々は、幾度となく人生の扉を開いては新しい経験を積み重ねてきました。
生まれたこと。進学したこと。就職したこと。転職したこと。結婚したこと。
子供が生まれたこと。定年を迎えること。そして死を迎えること。


アルメニアで何がクリスマスイブミサに行った後に行われ

それぞれの扉にそれぞれの人生があり、様々な経験を重ねています。
人は、次の扉を開けるまでは、人生が完成しないような錯覚に囚われていて、
今に生きていないように思えますがどうでしょうか?

例えば、進学を目指す学生は大学に入るまでは、頑張らなければと今に生き
ていません。就職を目指す学生は、会社に就職するまではと今に生きていま
せん。結婚をめざす人は、結婚するまではと今に生きていません。会社員は
定年退職して自分の好きなことをしようと考え、今に生きていません。定年
退職した人は死後の世界を考えて今に生きていません。

小林正観さんの言葉ですが、「今」に「心」を向けることを「念を入れる」
というそうですが、多くの方が今という時間に念を入れて生きていないよう
な気がするのです。


誰がアフリカ正統教会を見つけましたか?

ニールドナルドウオルシュの近著である「神へ帰る」には、「死とは何か?」
「生命とは何か?」「人生を終えたら、どこへ行くのか?」などが神との対
話の中で述べられていますが、この本に出てくる言葉が真実の言葉であるこ
とは、少し精神世界を勉強されている塾生諸君には分かるはずです。

その中で、「あなた方の旅は際限なく神を探す旅ではなく、際限なく神を経
験する旅だよ、それを理解すれば、どうして旅をしつづけるかという理由は
明らかだ」という言葉で出てきます(234P)

マーヤ大先生の人生コーチング189号で塾長は
「神がこの世を創造したのは自らが楽しむためだとすれば、仮に神と融合し
たとしても、創造の目的からして我々は再び、この世に生まれたくなるは
ずです。」といいましたが、これは本質的には同じことを言っています。


彼らはどのように18世紀に誕生日を祝うのですか?

そうなんです。我々はしっかりと経験を積むためにこの世で生きています。
「魂は霊的な世界を通って「完全な知」に到達し、物理的な世界を通って「
完全な体験」に到達する。どちらの道も使われるから、二つの世界がある。
「核心」でこの二つが結び合わさり、あなたは「完全な感情」を創造し、
それによって「絶対的な気づき」を生む完璧な環境ができる。(196P)

では「絶対的な気づき」とは何でしょうか?
それは「我々は神である」ということです。

サイババいわく「人は神から来て、神を体験し、神に帰る存在である」
我々の本質は「至福」であることは何度も述べていますが、この言葉もサイババ
の言葉ですが、ところがこの本の中にまったく同じ言葉がありました。
「あなたがたが「神性」の至福であるのに、あなた方はそれを知らない」(234P)


塾生諸君、人生をあわててはいけません。
生き急ぐ必要はありません。
何かが不足しているように感じていても、次の扉にそれがある訳ではありません。
大切なことは、今に念を入れて生きること。その経験を積み重ねることこそが自
分を成長させる秘訣です。

竹内まりあのデニムのアルバムの中にある「スローラブ」ではまりあは次のメッ
セージを送っています。
「どうしてそんな風に急いで生きてるの?人と比べながら幸せはかるから、足り
てるのはいつも虚しさだけ、立ち止まってみて、君が探している大切なものは、
スローラブ、あまりに近くて見えてないだけの青い鳥かもね、、」

それでは塾生諸君、ごきげんよう、、。



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