2012年5月10日木曜日

ようこそ教会のビデオを作成します。


我々としてはすべて、人々は祈りのために教会へ行くと毎週日曜日、祝祭、またはその他の特別な日を知っています。あなたは教会の牧師にも、PowerPointの専門家かもしれません。だから、あなたがユニークな作成するための良いアイデアです歓迎の教会DVD / ビデオ、プラズマテレビやロビーでデジタルサイネージに表示することができます。さらに、それはまた、古いコミュニティのメンバーと新しいもののために暖かい歓迎を与えるために素晴らしい方法です。


の場合、教会歓迎プレゼンテーション作成したが、楽しいです、あなたは人々があなたの教会の周りに快適に感じるようになります。以下の簡単な手順では、方法であなたを示す歓迎の教会のDVD作成 / ビデオ MS-パワーポイントに基づいて:

2012年5月8日火曜日

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2012年5月7日月曜日

PEELER/菅原義之「美術散歩」「所沢ビエンナーレ美術展」に ついて


 

「所沢ビエンナーレ美術展」について

TEXT 菅原義之

 

 「所沢ビエンナーレ美術展−引込線」の第1回展は8月28日から9月23日までのほぼ1ヶ月間開催された。場所は西武鉄道の「引込線」で西武線所沢駅から徒歩数分のところ、昨年のプレ展と同様だった。参加アーティスト36名、内容は絵画、彫刻(立体)、写真、映像、インスタレーションなど広い範囲にわたり、現代美術の縮図を見るようだった。
 参加アーティストはプレ展時16名の倍以上、会場も第3会場が増え昨年の2倍近く、第1回展に相応しい内容だった。展示順に作品を何点か見てみよう。


 

 

2012年5月3日木曜日

坂戸いずみ教会 礼拝説教「誰が聖所に立てるのか」


坂戸いずみ教会 礼拝説教「誰が聖所に立てるのか」

「誰が聖所に立てるのか」

2004年6月6日礼拝説教

詩編24編

地とそこに満ちるもの
世界とそこに住むものは、主のもの。(1節)

詩編24編はまず、このように宣言します。なぜ、主のものだと言えるのでしょうか。その訳は続く2節が物語っています。

主は、大海の上に地の基を置き
潮の流れの上に世界を築かれた。(2節)

主なる神さまが造られた地であり、世界であるからこそ、それは主のものだと言えるのです。ここで言われている「大海」とか「潮」というのは、いわゆる"海"のことを指しているのではありません。そうではなくて、主なる神が世界を造られる以前の混沌、カオスの状態を指しているのです。

旧約聖書・創世記の最初に、神さまによる天地創造の物語が記されていますが、その冒頭には、次のように書かれています。

初めに神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深遠の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。(創世記1章1〜2節)

ここに「水」と出て来ます。混沌とした、闇に覆われた水。それが現実にどのような状態なのか、想像を越えていますけれども、そのような「水」のことを、詩編24編は「大海」と呼び、「潮」と言っているのです。

2012年5月2日水曜日

Sotozen-net


Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から―

曹洞宗現代教学研究センター研究報告

Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から―

曹洞宗現代教学研究センター編



       目 次

 1、オウム真理教の教えについて概要を説明して下さい。
 2、オウム真理教はなぜ若者達を惹きつけたのでしょうか。
 3、オウム真理教の布施と宗門の布施とはどうちがうのでしょうか。
 4、ハルマゲドンと仏教の末法思想とは関連はあるのでしょうか。
 5、オウム真理教のマインド・コントロールをどう受けとめたらよいでしょうか。
 6、仏教を自称するのに、なぜオウム真理教は無差別テロを行ったのですか。
 7、オウム真理教の悟り(解脱)と仏陀の悟りと同じなのですか。
 8、オウムのヨガ的瞑想(蓮華坐)と坐禅(只管打坐)のちがいを教えて下さい。
 9、ホーリーネームと戒名にはどんな関連がありますか。
10、オウム真理 教で説く地獄と仏教の業論はどうちがうのでしょうか。
11、オウム真理教の「出家」と仏教の出家との違いを教えてください。
12、宗門の正信とオウム真理教信者の信仰の違いは何でしょうか。
13、イニシエーションとは何ですか。仏教や曹洞宗にもあるものなのでしょうか。
14、オウムの最終解脱と宗門の修行のめざすものとの違いを教えてください。
15、オウム真理教関係年表


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質問1
 オウム真理教の教えについて概要を説明して下さい。


 はじめに結論的なことを申しますと、オウム真理教の教えは一見仏教的ですが、「個人の尊厳」と「生命」をないがしろにするこのような教えは、けっして仏教であるとは言えません。
 オウム真理教は1980年代半ばに、「ただ一人の最終解脱者」を自称する麻原彰晃(本名・松本智津夫)教祖が15人ほどのメンバーとともにヨガ道場を始めたことに端を発する「新宗教」と称される新しい宗教団体です。オウム真理教の教えは、インドの思想を底流にしながら様々な宗教の教えを取り込みつつ、日本人にも馴染みの深い仏教的な観念を現代風にアレンジしたもの、といえます。

 オウム真理教における最� ��の神はシヴァ神です。シヴァ神は本来ヒンズー教の神ですが、オウム真理教においてはそれと同一ではなく、世界における唯一最高なる神であり、キリスト教でいう「ゴッド」も、仏教でいう「大日如来」もこのシヴァ神と同じであると説明されています。麻原教祖はこのシヴァ神から、超能力を得た民による理想世界「シャンバラ王国」を築くことを命じられた、といいます。

 オウム真理教で説かれる「真理」とは、「大宇宙の構造」「カルマの法則」「輪廻転生」の三つをさすようです。その宇宙観は、仏教でいう「三界(欲界・色界・無色界)」を基本として、「六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)」や「須弥山」の世界観などを独自の解釈で盛り込み、構築されています。そして、ここでいわれる「大宇宙」にお� ��て魂が「輪廻転生」を繰り返すと説かれています。また、過去・現在・未来を支配する絶対的真理といわれる「カルマの法則」は善因は必ず喜びとしての果報を受け、悪因は必ず苦しみとしての果報を受けると説かれます。その行為によって生ずるエネルギーともいえる「カルマ」は、その「輪廻転生」する魂に蓄積される性質を持つようです。

 オウム真理教の教えは教団の発展とともに変化しています。それは、個人の悟りと解脱だけを目標とする「小乗の教え」から他者の救済を目標とする「大乗の教え」への変化、「大乗の教え」から最高の教義である「秘密金剛乗(タントラヴァジラヤーナ)の教え」(現在、オウム真理教ではその金剛乗の教えを否定し、テキストであった『ヴァジラヤーナ教学システム教本』は回収、� ��却されました)への変化といえるでしょう。

 また、教義は基本的に「悟り」「解脱」「救済」という三つの要素から構成されていると考えられます。「悟り」は原始仏教の教えに基づいて説かれているようです。「悟り」は、自分の心の動きを客観的に理解できる状態をさし、「大宇宙の構造」「カルマの法則」「輪廻転生」を理解することともいえます。その「悟り」を得るためには教義を知識的にしっかりと理解する方法と、ヨーガ的方法によって得る方法があるそうです。
「解脱」は何日もの断食や瞑想をしたり、マントラ(真言)を何万回も唱えたり、五体投地を何時間もするなどの厳しい修行を通して、現世的な富や名誉に束縛されない真の自分を得ることだとしています。それは「心の本質への到達」「あなたの� �来の姿」であり、「絶対自由」「絶対幸福」などといわれています。「解脱」には様々なステージ(段階)があり、またそれには何らかの神秘体験がともなうとされています。また、ステージを上げるために様々な「イニシエーション(秘儀)」や「布施」が必要であるといわれています。

 「救済」は、他者の「救済」のために自らを犠牲にしつつ奉仕する「大乗の修行」をすることを意味するようです。「救済」には「人々を病苦から解放する」「現世の苦悩からの解放」「解脱・悟りへ至らせるための救済」という「三つの救済」があります。そして「三つの救済」は、四つの偉大なる心である「四無量心」で行わなければならないとされています。「四無量心」とは、すべての魂に本当に真埋の実践をしてほしいと思う「聖� �愛」、真理を知らないことや否定することを哀れむ「聖哀れみ」、自分より徳や智慧の優れている人を心から称賛する「聖称賛」、自分に対する非難などを含め一切の現象に対して頓着しない「聖無頓着」の四つとされています。

 また、この「大乗の修行」では最終解脱はなかなかできないとされ、「金剛乗」の教えにもとづくものであれば必ずできるとされました。その「金剛乗」の教えによれば、魂の救済のためならば殺人も善である、ということになります。麻原教祖は説教の中で、悟りを得た人が悪事を重ねる人を殺した場合を例に挙げ、「すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまうと。ここで生命を断たせた方がいいんだと考え、ポア(魂を高い世界へ移し変えること)させたと。客観的に� �るならばこれは殺生です。しかしヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです」と述べています。麻原教祖はこの教えによって、地下鉄サリン事件などの残虐な殺人行為を「善行」として肯定したのではないでしょうか。

 このオウム真理教の「救済」は、当初「個人の魂の救済」だったのですが、キリスト教の聖書から「ハルマゲドン」という終末思想を取り込んだことにより「人類の救済」へと変わっていきました。「人類の救済」はオウム真理教の教えによって全人類をハルマゲドンの危機から救う、というものです。しかしその救済も、全人類の救済から「選ばれた者=解脱者」の生き残りへと変化していきました。そして、その変化の過程においてオウム真理教は様々な社会的な問題を引き起こし� �きたのです。

目次へ



質問2
 オウム真理教はなぜ若者たちを惹きつけたのでしょうか。

 
 1995年春現在で、オウム真理教の出家修行者1,114人。そのうち20代が47.5%。20代と30代を合わせると実に75・4%になるといわれます。「なぜかくも若者が?」。だれもが知りたいことですが、残念ながら全体を見通したうえでの、誰もがなるほどと納得できるような答えは、まだ出ていません。
以下に述べる事柄は、これまで出された諸情報の要約であることを、あらかじめお断りしておきたいと思います。

 第一に現在20〜30代の若者が育ってきたこの国の社会−文化的状況があります。70年〜80年代の豊かな社会の豊かな日常のなかで育った人たちのなかには、近代合理主義や消費主義のライフ・スタイルに不満と空しさを覚え超(脱)現実的な世界を憧憬する者たちも少なくありません� ��こうした思想や感覚に呼応するように、70年代以降神秘や不可思議な現象を強調するオカルティズムが盛んになりました。「現実を超えたい!」と思念する若者たちにオウム真理教は超現実的な神秘をみずから体験できる身体技法なるものを提供したのです(『超能力・秘密の開発法』)。

 第二に若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教のナウい教化法をあげることができましょう。

 「だれでも修行すれば超能力者になれ、生の濃密なリアリティを体験できる!」。こうした主張を何のてらいもなく堂々と主張できる既成教団はけだし稀有ではないでしょうか。神秘主義と体験主義の強調と若者の積極的参与。これが可能になったのは、オウム真理教の特質が現代の"若者たちの宗教"であること、そして他面それ 以外のものではないことを物語っているとも言えましょう。ある大学院生は、蓮華座を組んで呼吸法を実践したら、とたんに身体が飛ぶのを感覚し、オウムの技法の力に驚いたと告白しています。この大学院生の体験と同じような体験をさせる施設は、ヨガ修行所やトランスパーソナル研究所など大都市に少なくないことも、若者たちのこうした領域への関心を高めるのに一役かっていることは事実でしょう。

 第三に宗教観をめぐる親子間のギャップがあると思います。息子や娘がオウム真理教に出家を決意した際、あるいは出家してしまった後に、彼らを引きとめ、連れ戻そうと必死になった両親や親族の話は、よく知られています。「宗教や人生についていくら説得しても駄目だった。」と述懐する親たち。ある種の神秘を体験 し、人生の根元的意味を強く主張する子供たちに対し、その信念と論理に真っ向から対決するだけの宗教的論理を具えた親はどれだけいるでしょうか。親と子の宗教をめぐるギャップは、総じて伝統的宗教習俗に基盤をおく中年以上の人たちの宗教と、既成の宗教的枠組みを超えようとする若者たちの宗教とのギャップでもあることに注意すべきでしょう。

 第四に若者たちの宗教文化一般についての知識不足を数えることができます。オカルティズムも神秘体験も呪術も広義の宗教文化の構成要素であることは言うまでもありません。しかし、これだけが宗教である訳ではありません。科学や学問には優秀な若者たちも、その成長過程で宗教教育を受ける機会がほとんどないわが国では、"宗教"にたいして無菌状態であることを免 れません。彼らのなかには"超常現象=宗教"と短絡的に捉えた人たちも少なくないと思われるからです。

2012年5月1日火曜日

宗教 - アンサイクロペディア


秀逸な記事

この記事は秀逸な記事だよ。書いた本人とひよこ陛下が言うんだから間違いない。より素晴らしい記事にできるってんなら、してみやがってください。お願いしましたよ。

宗教(しゅうきょう)とは、発狂した人間が集団で海に飛び込む心理状態であると共に、独自の美意識に沿って演劇性のある行動を起こすための基本原則である。稀に「奇跡」と呼ばれる怪現象で大衆に楽しまれている娯楽の様式を含む。しかしほとんどのアンサイクロペディア利用者にはどーでもいい事である。

この行為は、概ね正気の沙汰が疑われる人間の、人間らしい行動を誘発させる基本原理のようなものである。世界各地に様々な形態の宗教がはびこっており、これは科学が発展した現在でも払拭されるに至っておらず、主に人間の精神上における構造的欠陥の発露と言えよう。

その一方で「奇跡」という集団幻覚ないし居合わせたものが無知であったためにきちんとした説明が出来ないものも含む偶発的な現象が稀に報告されている。これらではこの奇跡が、類い稀なる娯楽であるため、多くの人がこの奇跡を目の当たりにしたいと切望しており、しばしば悪徳商法が擬似的に奇跡を視聴させて金品を奪い取るという行動が社会問題となっている。信憑性があるとすれば、それは悪徳業者の歩んだ「軌跡」ぐらいだろう。

悪徳商法においてこの奇跡を視聴させるシステムには、舞台演劇の演出手法や、アルコール飲料(酒)・ドラッグ(麻薬・覚醒剤・大量の砂糖)といった生化学的な手段、あるいは飢餓や断眠・退屈な呪文・禁欲(セックスはもちろん、自慰も禁止)・排泄の禁止・正座による足の痺れ・頭を地面にこすりつける屈辱的な格好をさせる(恥辱プレイ)といった方法が取られている。

本来は「執狂」、「醜狂」、「醜凶」と表記されていたが、例によってクズどもがゴネたので、字面から実態が想起されにくい漢字に変更された。

[編集] 宗教の雛型

宗教は、主に以下のいずれかの形態から発展したものである。

  1. アニミズム
    原始人間社会が自然に対して無力であるという劣等感から発生した。
  2. トーテミズム
    何等かのシンボルをしつらえてその周りで発狂する。
  3. 神の発明
    自分を神ないし神の代理人だと吹聴する狂人から発生する伝染病の一種(→教祖)。

このような原型は絶対では無いが、概ね大抵の宗教にはこれに分類される一定の類似性が見られる。だが同時多発的な現象でもあるため、各々の宗教が互いに「自分たちの宗教こそ真理だ」と主張している手前統合は進まず、逆に時代を追うごとに細分化するといった現象も見られ、真理がかくも様々な宗派に各々存在する訳も無いので、この状況をさして「人間には真理は絶対見出せない」と看破するニヒリストも存在する。

この細分化現象の果てには、「宗教のパーソナル化(個性との境界の喪失)」が発生する事が予測されている。具体的には1970年代アメリカで流行した、「新霊性運動」「ニューエイジ」などと称した、甘ったれた自己肯定や胡散臭い神秘体験を寄せ集めてマイ(笑)世界観を妄想するブームがこの好例といえる。本当のところ富裕層の若者がヒッピーごっこをしたくて「伝統的キリスト教への反発」とかカッコつけてみた程度のもので、パーソナル化自体の是非は彼らには正直どうでもいい。

[編集] 主要なテーマ

その多くでは以下のような事が主テーマに挙げられる傾向がある。

  • 平和を説く
  • 友人には親切にする
  • 弱者は保護する

など。

これらは翻せば以下のようにも解されている。

  • 敵はとりあえず早い段階で始末しておく(例:敵をすべて排除すれば争う相手がなくなるので平和を擬似的に演出できる)
  • 敵には暴虐の限りを尽くして搾取する・敵の富を奪って友達と分配する(そして恩を売る)
  • 大抵の人間は自分こそ一番惨めで無力だと思い込んでいるので、他からの援助を期待して何ら自助努力をしない

[編集] 宗教の意義と現代社会

宗教の誕生には3通りのケースが考えられる。1番目は発案者が気が触れた場合であり、2番目は、発案者が十分に理性的で営利を目的として宗教を発案した場合、3番目は発案者が理性的で十分な思考実験のもとで倫理や哲学に基づいて発案されたケースがあるだろう。

ポゲムータ博士の研究(Pogemuta et al, 2310)は、宗教が長持ちするためには3番目のケースでなければならないことについて証明を与えている。博士は、1番目のケースでは宗教の教義ができる初期段階で多くの矛盾を抱えてしまい自然崩壊すること、2番目のケースでは発案者の意図が見破られてしまうことにより長期維持が困難であるとしている。

気が触れた発案者はしばしば自らのために宗教をでっちあげるが、理性的な発案者は、宗教を自らのために作成することはない。しかしながら彼または彼女は、人類にとって宗教が必要であるということを十分認識している。このような宗教発案者を、宗教付与者と呼ぶ。

宗教付与者は、十分な思考実験によって「有限な未来を仮定する人の一生には意味がない」という結論を得る。人生が寿命によって終るケースを考えよう。死んだ状態で思考できると仮定しないならば、生前にいかに安息して生きたとしても、いかに苦痛をともなって生きたとしてもそれらを差別化することはできない。ならば、「他者のために生きよう」というもっともな発想がある。しかしながら、ある人物が全人類に貢献できるような仕事をした場合でさえ、人類という母集団が寿命を終えるという前提では彼または彼女の人生に意味を見出すことができないことは明らかである。さらに、彼または彼女が宇宙の全ての種族に貢献できたとしても、宇宙の終りを前提とする限り意味を見出すことができない。

この思考実験は、人類がいずれ十分なゆとりを手にいれ、全ての人類が理性的になったときに、「人生のあらゆる行動には意味がない」という結論に至る可能性を示唆している。人類の多くが、通常このような後退思考に陥らないのは、「忙しくてそんなこと考えてられない」「家族のために働いている」などの状況に恵まれているためである。言い換えると、全人類は宇宙が終るということを理解あるいは予見していながら思考を先送りにするという現実逃避を実施している。

宗教付与者は一連の思考実験によって、人類を現実逃避させることが重要であるという事実に気づき、現実逃避させるために必要な仮想の事実、すなわち宗教をでっちあげた。これによって少くとも彼または彼女は数千年にわたり人類を現実逃避させ続けることに成功した。

現代では、科学的思考が一般的になるについてこの現実逃避に懐疑的な者が増えている。しかしながら、宗教の効果を取り除くと人類は「人生のあらゆる行動には意味がない」と考え、種族的欝状態になることが予想されている。実際、現代社会において欝病が問題視されており、|国民的スポーツの一流選手や国家元首でさえ欝状態に陥ることが知られている。

米国政府とイスラム諸国政府は、種族的欝状態を避けるため10000年戦争協約という秘密条約を結んでいる。この秘密条約では、地球人類の宗教心を煽る方法や、その実施期間について細かく規定している。米国政府とイスラム諸国は、この条約に基づいて絶え間なく戦争を行うことにしている。

一方、中国、インド、ブラジルなどが経済的に発展するにしたがって人類の大部分が宗教に懐疑的になってしまうのではないかという懸念が持ちあがっている。このため、国際連合では10000年戦争協約を発展させた新システムの導入を検討している。

[編集] 宗教の勢力

宗教は一般に「何かを信仰(崇拝)すること」とされているが、崇める対象によって世界には6の主な勢力が存在し、また各々の宗教の内部にも、発生後の内部分裂や諍い・争い・罵りあいといった過程を経て細分化された宗派などが存在している。

[編集] キリスト教

ニートの星のイエス・キリストを開祖とし、かれの弁舌に酔った人や、その弁舌の録音などを聞いた人が陶酔する様式の宗教。その原型にはユダヤ教なども含まれ、また旧約聖書や新約聖書といった本を販売して莫大な利益を発生させている。

ちなみに、「処女懐妊」や「死後三日で復活」といったモチーフはエジプト神話等の多数の紀元前の神話に登場し、聖書はこれらのパクリに過ぎない。これらのモチーフは全て星の動きを説明したものに過ぎず、「死後三日で復活」は太陽の動きを示したものである(日本書紀の天照大御神の岩の戸隠れと同じ意味である)。キリストやマリア等はあくまで星々を擬人化したものに過ぎないが、あたかも実在の人物であるかのように曲解されているのはヘブライ語から他の言語への翻訳の仕方の稚拙さによるものである。